[ 839 ]  自死権

 


さて最後の記事前の記事でっす。 

 ↑↑↑

実は、そういうことで・・・だけど物騒な印象なんで拙いな、と思って後ろ倒ししましたぁ。

以下、その日、アップしてようとしてたそのまんまです。

 ↓↓↓




危ないタイトル。


自分で死ぬ権利だね。

予ねてより思ってること。

以下想像。


時は西暦202X年。ある日の朝刊記事。


▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼

国民ナンバー制も浸透し、今国会で議論かまびすしいのは、

「自己の生命の維持と断絶に関する自己の意思の尊重と社会的道義に関する法律」

というなんとも舌を噛みそうな名前の法律を通すかどうか。

民自党は、昨今の社会保障費の高騰による財源不足と若者の極端な減少と彼らの閉塞感はすべてここ日本における世界一を堅持し続けている超高齢者社会のなせる業という考え方に加え、超高齢者自身も、高齢になって生きていく意義、社会への貢献度、という点で、これ以上生命を維持していくことに社会的背徳さえ感じる、という意識の高揚に伴う自己の生命の断絶権に関する声が急激に高まり、社会的ウネリとなりつつある点を考慮して上記法案を上程した。

その火付け役は、従来からあった概念ではあるが、井伊友三という一個人が具体的に提唱した自死権が発端と言われている。
彼は、人間には死ぬ権利があるという前提で、人間が生まれた時に番号を割り振られる昨今、個人の生死の管理ももっとドライにすべきであって、個人の意思と社会的判断によって、その個人の寿命をある程度設定しても構わないのではないか、と提唱したもの。

その骨子は、以下の3点。
①人は生まれながらにして死ぬ権利を有する。
②その死ぬ権利の実行時期、方法は、自分で選択し得る、あるいは修正し得るものでならねばならない。
③②については、社会的に許容できるものでならねばならない。

かなり抽象的なものではあるが、要するに、ある一定の年齢に達した人間は、自分の命を絶つ日時を自己の責任において決定し、社会的に妥当なものであると判断される場合は、国家から委託された機関がその作業(生命の断絶)を実行する、というもの。

一方野党は、
バカのひとつ覚えよろしく、生命の尊厳、命はなによりも重し、などという観念論が主体で、
その中でも面白いのが産共党で、お年寄りはこの世の宝、切り捨てようという法律は悪意の極致だ、自断法(上記法律案の略称)を断固拒否する。
というスローガンを展開。
人を永遠に生かそうという概念は共鳴できる点もあるものの、ではその命というものの限界はどう判断するのか、さらには、そのためのコストはどう考えるのか、加えて、社会に蔓延している閉塞感をどう打破するのか、という点については具体性に乏しいと言わざるを得ない。

先に挙げた井伊友三氏は、まだ案の段階ではあるが、教育の中で自死権に対する意識を持たせ、成人になった段階で、
自分の命をいつまで、と定義させるのが第一段階。
そして、その定義した年代まで残り10年となった時に、再度定義し直すかどうかを検討しそのまま確定とするか更に延長するかを登録し直す。(自死の時期を延ばすかどうかの判断)
但し、80歳を超える場合には、国家の定めた機関で、その妥当性について判断する、というような仕組みを導入すべきだとしている。

少々荒削りで、まだまだ議論の余地は多々あるものの上記法案が通った場合には、かなり有力な実行素案となり得るであろう。

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


などという最後までオバカな記事でしたぁ。



あぁオスプレイの子供が生まれたら、みんなでオメデトウしたかったなぁ。



ではでは、皆様、本当にありがとうございました。お元気で~~~!

しかし、「きらクラ!」に全然触れずにクローズする、このブログって・・・・・・・・・・・・


[ 2015/05/26 05時05分59秒 ] カテゴリ:・閑話休題 | TB(0) |  コメント歓迎!!  (今0件)

コメントの投稿











管理人への内緒コメント
 (内緒コメントは、一旦送信すると編集も削除もできませんのでご注意願います。)








↓ いただいているコメント ↓
 (えっと・・・直下に トラックバック って出てたらまだコメントはいただけてないってことです コメちょうだいね~ 




トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://kiracladays.blog.fc2.com/tb.php/839-c711a363